いつまでも元気

健康長寿のための実践や気づきを主とするブログです。

立会川~鈴ヶ森刑場跡

緊急事態宣言が発令され、外出自粛の要請が出ていますが、散歩やジョギングは何ら問題ないとのことなので、散歩コースの紹介を続けます。

今回は京急電鉄の立会川駅から鈴ヶ森刑場跡にかけてです。

 立会川駅周辺

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立会川駅を出て東側(海側)に行くと「立会川龍馬通り繁栄会」の横断幕がすぐに目につき、この通りの左側に幕末に活躍した土佐の坂本龍馬のブロンズ像があります。

坂本龍馬像

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坂本竜馬の像の説明文には

「1853年、黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835-1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたります。」

と記されており、若き日の龍馬がこの付近で過ごしたことが記録に残っているのです。

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 また説明の下にはペリーの黒船4隻の絵も描かれています。

浜川砲台の大砲

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坂本龍馬像から約200メートルほどにある品区立新浜川公園には、当時の砲台に据えられたホーイッスル砲のレプリカが置かれています。

船だまり

公園は運河のすぐそばで、船だまりからは屋形船や釣り船に乗船できます。

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涙橋

運河から立会川駅の方向に戻り、旧東海道を南方向(横浜方面)へ進むと、浜川橋で立会川を渡ります。

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浜川橋は別名を「涙橋」と言われその由来が案内板に以下のとおり記されています。

「慶安4年(1651)、品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。その時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に候を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。」

鈴ヶ森刑場跡

泪橋から旧東海道を700メートルほど進むと、東京都史蹟となっている鈴ヶ森刑場跡に到着します。

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ここは、歌舞伎や講談に登場する、丸橋忠弥・平井権八・八百屋お七等の処刑地として有名です。

3メートルを超す御影石の大きな供養塔があり、ヒゲのような筆太の字体で「南無妙法蓮華経」の文字が深く彫り込まれています。

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供養塔の近くには実際の処刑に使われた「磔台」「火炙台」が当時の姿そのままに残されています。

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左の磔台を上から見た写真は次のとおりで、説明文には以下のとおり記されていました。「丸橋忠弥を初め罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余りの角柱が建てられその上部に縛りつけて刺殺したのである。」

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右の火炙台には「八百屋お七を初め火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。真中の穴に鉄柱を立て足元に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである。」という説明がありました。

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鈴ヶ森には、受刑者たちの供養塔の他にも、天災や戦火で被害を受けた地元民や家畜の供養塔があります。その一つに「馬頭観世音」という、安政の大火で焼け死んだ馬たちのための供養塔があります。

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以上、立会川駅から鈴ヶ森刑場跡にかけての散歩コースを紹介しました。

コロナウィルスが落ち着いたら、地元でない方もお出掛け下さい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。